ジュネーブを後にした松岡洋右が同年4月に日本へ帰国すると、横浜港や東京駅は熱狂的な歓呼で彼を迎える数万人の群衆で埋め尽くされました。
当時の新聞やラジオは、国際連盟に屈しなかった松岡を「凱旋将軍」のように持ち上げ、国民のナショナリズムを極限まで煽りました。松岡自身は「自分は何も外交的成果を上げていない。連盟を脱退させただけの男をなぜ歓迎するのか」と当惑し、自宅前で万歳を叫ぶ群衆に対しても冷ややかな視線を送っていたと伝えられています。
メディアが作り出した「我が代表堂々退場す」という英雄的フレーズは、国民の冷静な国際感覚を麻痺させ、日本が自ら国際社会の孤立へと歩みを進める引き金となってしまったのです。日本政府は1933年3月27日、正式に国際連盟脱退を通告しました。