ストレートプレイで高い評価を得ていた浅利が次に見据えたのは、ブロードウェイやウエストエンドの本格ミュージカルだった。そこで訪れた運命的な出会いが、作曲家アンドリュー・ロイド=ウェバーである。
1983年、新宿の仮設テント劇場で幕を開けた『キャッツ』は、日本の興行史を根底から覆した。劇場の常識を無視した専用テントの建設、チケットの前売りシステム、そして前人未到の無期限ロングラン公演。関係者の大半が「無謀な大博打」と冷笑した挑戦を、浅利は圧倒的な完成度で成功へと導いた。
続く『オペラ座の怪人』の上演でも、ロイド=ウェバーの重厚な音楽世界を完璧な日本語劇として定着させ、劇団四季の名を不動のものにした。浅利がもたらしたのは単なる海外作品の輸入ではない。「日本人の手で、世界水準の舞台を恒常的に生み出す」という産業構造のイノベーションそのものだった。