吉田修一の小説『国宝』のあらすじにおいて、藤駒は喜久雄の青春期を象徴する重要な女性として登場します。上方歌舞伎の重鎮・花井半二郎の元で修業に励む若き喜久雄にとって、年上の芸妓である藤駒は、男としての歓びと芸の深みを教えてくれた存在でした。しかし、二人の情熱的な愛憎劇は、やがて残酷な別離へと向かいます。
喜久雄との間にできた娘・綾乃を身ごもりながらも、梨園という閉鎖的な世界と役者としての名声を優先せざるを得ない喜久雄の立場を悟った藤駒は、自ら身を引く決意を固めます。芸妓の看板を下ろした彼女は、大阪の下町で小さなスナックを開業。夜の街で働きながら、父親の顔を知らない娘を一人で育て上げる苦難の道を歩み始めました。
喜久雄が大名跡をめぐる争いやライバル・大垣俊介との競合、そして盟友・徳次の暗躍など激動の渦に巻き込まれていく間も、藤駒は決して喜久雄に頼ることなく、自立した一人の女として大阪の片隅で懸命に生き続けました。華やかな歌舞伎の世界の光の裏で、藤駒が歩んだ市井の生活は、喜久雄の背負う業の深さを象徴するもう一つの物語となっています。