稚内公園「氷雪の門」の歴史と九人の乙女|映画上映中止の真相の注目されている理由を丁寧にまとめました。最新トレンドを一目で把握できます。

氷雪の門のすぐ隣には、もう一つ絶対に素通りできない石碑が鎮座しています。それが「九人の乙女の碑」です。この碑が物語るのは、太平洋戦争が終結したはずの1945年8月20日、南樺太の真岡町(現在のサハリン州ホルムスク)で起きたあまりにも悲痛な史実です。

1945年8月15日に日本がポツダム宣言を受諾したにもかかわらず、ソ連軍は樺太への南進・侵攻を継続しました。8月20日早朝、霧に包まれた真岡港に突如としてソ連軍の艦艇が現れ、激しい艦砲射撃と上陸作戦を開始。市街地が炎と銃声に包まれる中、真岡郵便電信局で勤務していた電話交換手の女性たち(17歳から24歳の若き電信手たち)は、本土や他地域との緊急連絡回線を維持するため、職場に留まり通信業務を続けました。

しかし、局舎のすぐ近くまでソ連軍が迫り、窓ガラスが粉砕され銃弾が飛び交う極限状態に陥ります。通信業務を全うした彼女たちは、機密保護と自らの尊厳を守るため、事前に準備されていた青酸カリを仰いで自決の道を選びました。当時、稚内の通信局が受信した最後のモールス信号および音声交信には、今も語り継がれる切痛な叫びが残されていました。

「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら」

この通信が途絶えた瞬間、電話の向こうで何が起きたのかを悟った本土側の通信手たちは、全員が受話器を握りしめたまま涙を流したと伝えられています。1968年には昭和天皇・香淳皇后が稚内を行幸啓された際、この九人の乙女の慰霊碑に深く頭を垂れ、御製と御歌を捧げられたことでも知られています。