1966年(昭和41年)1月にリリースされた「逢いたくて逢いたくて」は、発売直後から爆発的なセールスを記録し、最終的に公称100万枚(実数約80万枚)に達する社会現象となりました。当時、街のレコード店や有線放送、そして急速にお茶の間へ普及していた白黒・カラー受像機から流れたのは、これまでの日本歌謡にはなかった「耳元で直接囁きかけられているかのような距離感」の歌声でした。
最大の勝因は、園まりさんが意図せずとも生み出した「ウィスパーボイス(囁き唱法)」にあります。当時のテレビスタジオの音響技術者や音楽関係者が残した証言によると、園まりさんは決して声量で圧倒するタイプの歌手ではありませんでした。むしろ、息を多く混じらせながら母音を艶っぽく引きずる歌い回しが、家庭用テレビの小型スピーカー越しに聴くリスナーにとって、あたかも「自分だけに語りかけている」かのような錯覚をもたらしたのです。
社会背景も見逃せません。1960年代半ばの日本は、東京オリンピック(1964年)を経て高度経済成長の猛烈な渦中にありました。猛烈に働く企業戦士たちが夜の静寂の中で求めたのは、力強い応援歌ではなく、疲弊した孤独感を無条件に包み込んでくれる「甘美な受容」でした。「逢いたくて逢いたくて」の冒頭で歌われる、すがりつくような切なさと哀願は、当時の男性層の庇護欲を極限まで刺激し、抗いがたい熱狂を生み出したのです。