乃木個人の生涯において、家庭人としての悲劇もまた際立っている。長男の勝典は南山の戦いで、次男の保典は二百三高地の激戦で、それぞれ命を落とした。司令官自らの息子二人を前線で失った事実は、当時から国民に大きな衝撃を与えた。
自らの子どもを特別扱いせず最前線に送り出し、散華させた乃木は、戦後「軍神」として崇められるようになる。現在は東京・赤坂や京都の乃木神社に祀られ、忠誠と誠実の象徴として参拝者が絶えない。だが、本人の日記や書簡を辿ると、息子たちを失った深い喪失感と、何万もの部下を戦死させたことに対する苛烈な自責の念に終生苦しんでいた姿が見える。
明治天皇崩御に伴う妻・静子との自刃も、前時代的な主君への追従というよりは、旅順で散った無数の将兵に対する命を賭した贖罪と清算の意味合いが濃かった。神格化された武人の仮面の下にあったのは、近代戦の犠牲となった一個の人間の計り知れない悲痛だった。