乃木坂46が結成された2011年当時、2人は性格もバックボーンも対極に位置していました。群馬県出身で社交的、お姉さんキャラとして初期からフロントを任された白石に対し、大阪府出身の西野は極度の人見知りで、初期は前に出ることすら躊躇する内向的なタイプでした。
映画『悲しみの忘れ方 Documentary of 乃木坂46』でも描かれた通り、初期の選抜発表やポジション争いの中で、2人の間には常に「センターを巡るライバル」としての無言の緊張感が漂っていました。西野自身、当時の特番インタビューで「初期はまいやん(白石)が眩しすぎて、自分から話しかけに行く勇気がなかった」と振り返っており、白石もまた「グループを背負う立場として、どう接すれば七瀬の負担を減らせるか悩んでいた」と吐露しています。
ネット掲示板や週刊誌はこれを「不仲」「派閥争い」と書き立てましたが、現場関係者の証言や当時の記録を辿ると、激しい対立があったわけではなく、「お互いに気を遣いすぎて踏み込めなかった時期」が存在したというのが客観的な事実です。