今一度振り返りたいのが、Jリーグ史に刻まれた数々の金字塔です。水戸ホーリーホックでの頭角現出を経て移籍した浦和レッズでは、強固な守備と驚異的な得点力でリーグ初優勝やAFCチャンピオンズリーグ(ACL)制覇に大きく貢献。その後加入した名古屋グランパスでも、移籍初年度の2010年にクラブ史上初となるJ1リーグ優勝をもたらし、自らもJリーグMVPに輝きました。
DFでありながら通算得点数はJ1通算75ゴールを記録し、セットプレーのターゲットとしてだけでなく、ビハインド時には前線に上がってゴールをこじ開ける「超攻撃的センターバック」として君臨。最盛期の推定年俸は1億5,000万円以上に達し、名実ともにJリーグ最高峰のプレーヤーとして君臨し続けました。
2019年シーズン終了後、京都サンガF.C.在籍時に38歳で現役を退いた背景には、「持てるすべての力をピッチに出し切った」という純粋な引き際への納得感がありました。度重なる怪我と戦いながらも常に100%の闘志を燃やし続けた結果、身体の限界とプロとしての美学を天秤にかけ、自らの意思で潔くスパイクを脱ぐ決断を下したのです。