特攻隊から逃げる、あるいは生き延びるという選択は、戦時中の倫理観においては重罪とみなされた。だが、現代の視点から問い直したとき、真に糾弾されるべきは誰だったのか。それは生き残った操縦員ではなく、生還の可能性を最初から排除した兵器を開発し、自らは安全な司令部に座りながら若者に死を強要した指導層である。
佐々木友次氏をはじめとする生還者たちが示したのは、命を粗末にしないという極めて当たり前で人間的な良識だった。技術を磨き、爆弾を敵に当て、機体を回収して次の戦闘に備えるという軍事的な合理性すら、当時の日本軍は「死の純粋性」という狂信的な空気のために放棄していた。
同調圧力に屈して命を投げ出すことが美徳とされ、合理的な判断で生きようとすることが悪とされた戦時下の空気。それは過去の遺物ではない。組織のために個を殺すことを求める社会構造は、形を変えて今も私たちの足元に潜んでいる。特攻隊で逃げた人、生き残った人の記録を直視することは、国家や組織が個人の尊厳を奪おうとするとき、いかにして自らの生命と意志を守り抜くかという、現代を生きる私たちへの切実な問いかけである。 (出典: 特攻隊 逃げ た 人(Yahoo!ニュース))
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