事件が完全な冤罪であると判明する契機を作ったのは、1895年に陸軍情報部長(統計課長)に着任したジョルジュ・ピカール中佐の緻密な調査でした。
ピカール中佐は、ドイツ大使館付武官シュヴァルツコッペン宛ての新たな不審状を押収・調査する過程で、かつてドレフュスを有罪にした「明細書」と全く同一の筆跡を持つ人物を突き止めます。その真犯人こそ、放蕩と借金にまみれた歩兵少佐フェルディナン・ヴァルザン=エステルアジでした。
ピカールは直ちに軍上層部へ「ドレフュスは無実であり、真犯人はエステルアジである」と報告し、再審を求めました。しかし、軍の幹部たちは自らの過ちを認めることを拒絶。「軍の威信と名誉」を守るため、ピカールを左遷・投獄し、エステルアジを形式的な軍法会議で早々に「無罪」と宣告したのです。さらに、アンリ少佐ら軍幹部はドレフュスの有罪を補強するため、新たな偽造書類まで作成するという泥沼の隠蔽工作に手を染めました。