太平洋戦争の転換点となったミッドウェー海戦以降、日本軍は各地で敗退を重ね、1944年には絶対国防圏の要塞であったサイパン島が陥落します。圧倒的な工業力と物量で押し寄せる米軍に対し、通常兵器による正面衝突ではもはや勝ち目がないことは明白でした。
この絶望的な戦況を打開すべく、海軍の若き士官であった黒木博司大尉と仁科関夫少尉の2人が発案したのが、人間が魚雷に乗り込んで直接誘導する「人間魚雷」の構想でした。「天を回(めぐ)らし、戦局を逆転させる」という願いを込め、この兵器は「回天」と名付けられます。
当初、軍上層部は「生還の道がない兵器の開発は認められない」として提案を却下していました。しかし、戦局の悪化に伴い「脱出装置(緊急脱出用のハッチや空気室)」を取り付けることを名目上の条件として、1944年2月に試作が承認されます。ところが、実際の設計段階では重量やスペース、構造上の問題から脱出装置の実効性は失われ、事実上の「乗れば生きて還れぬ必死兵器」として完成することとなったのです。