彼の偉大さは、技術力だけにとどまらない。現場では日本人と台湾人を完全に平等に扱い、寝食を共にした。作業員の家族のためのインフラまで整備し、事故で犠牲者が出た際には、国籍に関係なくすべての殉職者の名前を刻んだ碑を建てた。太平洋戦争の最中、フィリピンへ向かう途中で乗船が撃沈され、56歳という若さで海に散った彼の訃報は、多くの台湾民衆を悲しみに暮れさせた。その後の妻・外代樹の悲劇的な最期も含め、彼らの生き様は人々の胸を打ち続けている。
没後も台湾で愛され続ける日本人。生誕140年、気候変動時代に再評価される「八田與一」の遺産と日台の絆
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