1469年に尚円王(金丸)が開いた「第二尚氏王統」は、400年以上にわたり琉球を統治しました。その直系継承の歩みは、近代日本の激動の歴史と分かちがたく結びついています。
1879年の廃藩置県(琉球処分)によって王位を降りた第19代・尚泰王は、明治政府から華族令に基づき侯爵(こうしゃく)の爵位を授けられました。これは旧大名家の中でも加賀前田家や薩摩島津家、徳川宗家といったごく一部の巨大旧大名・諸侯に並ぶ最上位クラスの格付けであり、国家が琉球王室に対して払った極めて高い敬意の表れでした。
家系図の変遷をたどると、近代以降の尚家は以下のように直系で受け継がれています。
- 第19代 尚泰(しょう たい):最後の琉球国王。初代侯爵。東京移住後も沖縄の近代化や育英事業に私財を投じる。
- 第20代 尚典(しょう てん):尚泰の長男(中城王子)。沖縄青年期に尽力し、貴族院議員として活躍。
- 第21代 尚昌(しょう しょう):尚典の長男。オックスフォード大学に留学した国際派知識人。外務省嘱託として活躍するも30代で早世。妻は旧陸奥弘前藩主・津軽承昭伯爵の娘である百子。
- 第22代 尚裕(しょう ゆう):尚昌の長男。東京帝国大学を卒業し、大日本帝国海軍少佐として従軍。戦後は実業家として活動し、尚家に伝わる膨大な王家遺宝を那覇市へ無償寄贈(後の国宝指定)した大功労者。
- 第23代 尚衛(しょう まもる):尚裕の長男。現当主。
なお、琉球王国には最高神女として国王とともに国を司った聞得大君(きこえおおきみ)の制度が存在しました。代々、王女や王妃など尚家の最高位女性が就任した役職であり、神女組織自体は近代に解体されたものの、その祭祀の心と祈りの伝統は、尚家の女性たちや各地の門中(ムンチュー)によって今なお大切に受け継がれています。