ネット上の言論やSNSでは、「劣情=単なるエロ・性欲の言い換え」として雑に使われるケースが散見されます。しかし、日本近代文学の文豪たちは、この言葉を極めて繊細な心理描写の道具として用いてきました。
谷崎潤一郎や三島由紀夫、太宰治らの作品を検証すると、作中の人物が「劣情」を抱く場面には、必ず自己嫌悪、背徳感、人間存在の滑稽さや悲哀がセットで描かれています。単に体が反応したという描写ではなく、「高潔でありたいと願う自己」と「低俗な欲望に屈してしまう自己」の引き裂かれるような葛藤を表現する言葉として機能してきたのです。
したがって、この言葉を日常会話で親しい間柄の冗談として使うと、相手に必要以上の「下品さ」や「道徳的な非難」を感じさせてしまうリスクがあります。あくまで文章語、批評用語、あるいは文学的な表現として使い分けるのが大人の知性と言えます。