般若寺の歴史を語る上で欠かせないのが、波乱に満ちた歴史上の人物たちとの交錯だ。創建には諸説あるものの、推古天皇の時代に聖徳太子が学問修行の地として開いたという伝承が残り、古くから霊場として重んじられてきた。
だが、この地に最も深い哀愁を落としたのは、治承4年(1180年)の南都焼き討ちを指揮した平重衡だろう。『平家物語』の哀切な名場面として知られる通り、東大寺や興福寺を焼き尽くした重衡は、壇ノ浦の戦いで捕らえられた後、南都の僧徒に引き渡され、この般若野の露と消えた。境内の一角に佇む供養塔の前に立つと、歴史の非情さと無常観が胸に迫る。戦乱に焼かれ、灰燼に帰しながらも、人々の信仰と手によって幾度となく蘇ってきた境内の土を踏みしめると、石仏たちの表情すらどこか優しく、切なく見えてくる。