京都・西本願寺の歩き方2026|国宝唐門と大銀杏、歴史の謎を解く

京都・西本願寺の歩き方2026|国宝唐門と大銀杏、歴史の謎を解く

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京都を訪れた旅行者が必ず抱く疑問のひとつが、「なぜ目と鼻の先に西本願寺と東本願寺のふたつが存在するのか」という点です。この東西分裂の背景には、戦国時代から安土桃山時代にかけて繰り広げられた激動の政治闘争が深く関係しています。

かつて戦国最強の宗教勢力として織田信長と10年以上に及ぶ激戦(石山合戦)を繰り広げた本願寺は、第11代門主・顕如(けんにょ)のもとで強大な結束を誇っていました。しかし、信長との和議受け入れを巡って、和睦派の父・顕如および弟の准如(じゅんにょ)と、徹底抗戦を主張した長男の教如(きょうにょ)との間で深刻な内部対立が生じます。

豊臣秀吉の死後、天下人となった徳川家康はこの内部対立に目をつけました。当時、全国に数十万人規模の門徒を擁していた本願寺の一枚岩の力を恐れた家康は、1602(慶長7)年に教如へ烏丸七条の土地を寄進し、新たな本山を建立させました。これが現在の「東本願寺(真宗大谷派)」です。一方、秀吉から土地を与えられていた准如の系統が「西本願寺(浄土真宗本願寺派)」として残り、本願寺の勢力は東西ふたつに二分されることとなりました。

清水 千尋
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清水 千尋

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。