平安時代中期の永承7年(1052年)、当時の人々は恐れおののいていた。釈迦の教えが効力を失い、世が乱れるとされる「末法」の初年に突入したからだ。疫病、天災、治安の悪化。栄華を極めた藤原一族でさえ、死後の地獄落ちを本気で恐れた。
関白の座にあった藤原頼通は、父である藤原道長から譲り受けた宇治の別荘を寺院へと改め、翌1053年に阿弥陀堂(鳳凰堂)を完成させた。父・道長が法成寺に現世の権勢を誇示したのに対し、頼通が宇治の地に描いたのは、死後に赴くべき「極楽浄土」そのものの具現化だった。近年制作された数々の歴史ドキュメンタリーでも指摘されている通り、これは一族の権力誇示というより、破滅の予感に怯えた平安エリートの切実な祈りのかたちだったのである。