甲斐野央という投手の本質を語る上で避けて通れないのが、度重なる右肘の故障との戦いです。東洋大学から2018年ドラフト1位でソフトバンクに入団したルーキーイヤー、彼は開幕からフル回転し、新人最多記録となる13試合連続無失点を記録するなど、いきなり65試合に登板してプレミア12の日本代表(侍ジャパン)としても世界一に貢献しました。
しかし、過酷なマウンドの代償は想像以上に重く、2026年春季キャンプで右肘の違和感を訴えて離脱。検査の結果、右肘内側側副靭帯の損傷が判明し、PRP療法などの保存療法を試みたものの、最終的には靭帯再建手術(通称トミー・ジョン手術)に踏み切る苦渋の決断を下しました。丸1年以上の実戦登板なしという暗闇のなかで、彼は孤独なリハビリと自身のフォームの抜本的な見直しを続けました。
2026年シーズン後半に一軍復帰を果たした際、マウンドに戻ってきた彼の右腕は、以前よりもしなやかで力強い腕の振りを手に入れていました。復帰後に記録した自己最速の160km/hは、医学の進歩と本人の不撓不屈の努力が生み出した結晶でした。西武移籍後も、トレーナー陣と綿密に連携しながら肘のケアを最優先とし、連投制限や登板間隔の調整を徹底することで、爆発的な球威を安定して出力し続ける身体づくりを確立しています。