歴史ファンならずとも一度は抱く疑問が、「なぜ宮内庁の治定と学界の見解が真っ向から対立しているのか」という点です。宮内庁は現在、茨木市にある太田茶臼山古墳を継体天皇陵(三嶋藍野陵)として厳重に管理しています。しかし、近代以降の考古学的調査によって、太田茶臼山古墳の築造年代は5世紀中頃(450年前後)であることが判明しました。
『古事記』や『日本書紀』の記録によると、継体天皇の崩御は531年(または534年)とされています。つまり、太田茶臼山古墳とは半世紀以上の時代ズレが生じており、年代的に継体天皇の墓ではあり得ないという結論に達したのです。
対する今城塚古墳は、1997年から2006年にかけて実施された高槻市による大規模な発掘調査によって、6世紀前半(530年代頃)の築造であることが確定しました。年代の一致に加え、墳丘長約190メートル、二重の濠を含めた総長約350メートルという淀川流域最大規模のスケールを誇り、大王墓たる条件を完璧に満たしています。