なぜこのような仕掛けが施されたのか。そこには、メガホンをとった高畑勲監督の妥協なきリアリズムと、作画監督を務めた近藤喜文の圧倒的な描写力が深く関係している。高畑監督は生前、映画を単なる「かわいそうな悲劇」として安易に消化されることに強い警戒感を抱いていた。
近藤喜文の手による絵筆は、子どもたちの無邪気な一瞬を瑞々しく切り取る一方で、その背景にある冷酷な時代の空気をごまかさなかった。美しさと恐怖、生と死。相反する要素を同一画面に同居させることで、観る者に「自分たちは何を見ているのか」という問いを突きつける。一見すると微笑ましい兄妹の交流に見えるポスターは、視点を変えた瞬間に絶望の図像へと変貌する。