鴻臚館広場の歴史と現在!平和台球場跡の奇跡と最新整備計画

鴻臚館広場の歴史と現在!平和台球場跡の奇跡と最新整備計画

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鴻臚館跡の発見は、まさに偶然と執念が重なったドラマでした。長年、江戸時代の福岡城内に古代の鴻臚館が存在したという説は学界で議論されていたものの、広大な球場施設に覆われていたため実態解明は不可能とされていました。

事態が急変したのは1987(昭和62)年12月のことです。平和台球場の外野席改修工事に伴う事前調査において、奈良時代の瓦や建物跡の礎石がまとまって出土。当時の報道各社や考古学関係者に衝撃を与えたこの発見を機に、福岡市教育委員会による本格的な発掘調査がスタートしました。

1997年の平和台球場閉鎖後、スタンド解体と並行して進められた大規模調査では、筑紫大宰(つくしのおおみことももち)の時代から続く「筑紫館(つくしのむろつみ)」期(7〜8世紀)と、平安期の「鴻臚館」期(9〜11世紀)という約400年間にわたる複数層の遺構変遷が判明。中国・唐や新羅、さらには西アジア産のイスラム陶器片、獣骨、木簡などが大量に出土し、国際貿易都市・博多の前身としての実相が白日のもとに晒されました。

渡辺 美咲
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渡辺 美咲

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。