香淳皇后は1903年(明治36年)3月6日、久邇宮邦彦王(くにのみやくによしおう)と薩摩藩主・島津忠義公爵の七女である俔子(ちかこ)のために誕生しました。幼少期より学習院女学部で学び、皇族としての教養を身につけた久邇宮良子女王は、早くからその聡明さと穏やかな気質で注目されていました。
しかし、皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)の妃に内定した直後、近代皇室史に刻まれる政治的騒乱「宮中某重大事件」が勃発します。元老の山県有朋らが、母方の島津家に色盲の遺伝があるとして婚約辞退を迫った出来事です。
久邇宮家側はこの不当な圧力に断固抗議し、教育係であった杉浦重剛らも皇室の信義を重んじるべきだと主張しました。最終的には1921年(大正10年)2月、宮内省より「婚約に変更なし」との異例の声明が発表され、政治的干渉を退ける形で婚約が守り抜かれました。この事件は、若き日の両陛下が結ばれる過程における最初の大きな試練でした。