高校を2010年3月に卒業したヒカルは、大学には進学せず、地元の大手鉄鋼メーカーである新日鐵住金(現・日本製鉄)の工場に就職します。安定した給与と手厚い福利厚生が約束された職場であり、地方の高校卒としては申し分のない進路でした。
しかし、実際の工場勤務の現場は、同じ作業の繰り返しと年功序列の固定観念に縛られた世界でした。本人が後に動画内で明かしたところによると、「自分の20年後、30年後の姿が上司を見た瞬間に想像できてしまい、強烈な絶望感を覚えた」と述懐しています。敷かれたレールの上で一生を終えることに耐えられなくなった彼は、周囲の猛反対を押し切り、入社からわずか数か月で退職願を提出しました。
その後、営業会社への転職を経て、ある実業家との出会いをきっかけに20代前半で独立・起業を果たします。しかし、現実は甘くありませんでした。情報発信ビジネスやアフィリエイト、通信回線の営業代理店などを手掛ける中で、取引先とのトラブルや詐欺被害に遭い、一時期は1,200万円を超える多額の借金を背負うどん底を味わいます。家賃も払えず、兄・まえすの部屋に転がり込み、1日数百円の食費で食いつなぐ過酷な下積み時代が続きました。