大島渚(おおしま・なぎさ)は1932年3月31日、岡山県玉野市で生まれ、京都で育ちました。名門・京都大学法学部に進学した大島は、学生運動に身を投じながら京都府学連委員長を務めるなど、若き日から社会の不条理に対する鋭敏な問題意識を培います。1954年に京都大学を卒業後、助監督募集の狭き門を突破して松竹大船撮影所に入社しました。
1959年に『愛と希望の街』で監督デビューを果たすと、翌1960年には『青春残酷物語』『太陽の墓場』を連続発表。既成の映画文法を破壊し、鬱屈した若者の生態と政治的挫折を生々しく描いたその作風は、フランスの新しい映画運動になぞらえて「松竹ヌーヴェルヴァーグ」と呼ばれ、社会現象を巻き起こしました。
しかし同年に発表した『日本の夜と霧』が、安保闘争を巡る政治情勢の余波を受けて公開わずか4日で松竹により上映打ち切りに追い込まれます。これに激怒した大島は松竹を退社。自らの独立プロダクション「創造社」を立ち上げ、映画会社による検閲や資本の制約から脱却し、一切の妥協を許さない真のインディペンデント精神を貫く道を選びました。