本作をめぐる最大のミステリーが、「描かれているモデルは誰なのか」という議論です。美術史研究者の間で長年にわたり最有力候補として挙げられているのが、フェルメールと同じ1632年にデルフトで生まれ、顕微鏡による微生物の発見で後世に「微生物学の父」と称されたアントニ・ファン・レーウェンフック(Antoni van Leeuwenhoek)です。
この説を裏付ける歴史的証拠は複数存在します。まず、フェルメールとレーウェンフックが同じデルフトの同世代であり、互いの存在を深く認識していたことです。決定的証拠とされるのが、1675年にフェルメールが43歳で急死した際、破産状態にあった遺族の財産を清算するため、デルフト市から公的管財人に任命されたのがレーウェンフックその人だったという公文書記録です。
また、ヤン・フェルコリエが1686年に描いたレーウェンフックの公認肖像画(ロンドン王立協会所蔵)と比較すると、鷲鼻の輪郭、知的な眉のライン、面長な骨格など、風貌の類似点は無視できない水準に達しています。さらに、レンズを自ら研磨して極小の世界を覗き込んだレーウェンフックは、光学や数学、測量術にも精通しており、自作のナビゲーション器具を扱っていた記録も残っています。
一方で、慎重派の研究者からは「フェルメール特有のトローニー(特定の人物の肖像ではなく、特定のタイプや感情を表現した人物画習作)ではないか」「注文主であった裕福なパトロン自身を描いたのではないか」という指摘も根強く存在します。しかし、同時代デルフトにおけるレンズ愛好・光学校友会のような知的な交友関係を鑑みれば、画家のすぐそばにいた知友レーウェンフックがポーズを取った、あるいは彼の知的探究心そのものが着想の源泉となったと解釈するのが極めて自然です。