慶喜がこれほどの長寿を保てた背景には、明治維新後の徹底した隠居生活と健康的な生活習慣があります。1868年の江戸城開城後、水戸での謹慎を経て駿府(現在の静岡県静岡市)へ移り住んだ慶喜は、約30年間にわたり政治の世界から完全に距離を置きました。
静岡での慶喜は、自らの立場が新政府に警戒されないよう配慮しつつ、多彩な趣味に情熱を注ぎました。
特に熱中したのが写真撮影と狩猟(鉄砲撃ち)です。写真は当時最先端の機材を揃え、自ら暗室で現像まで行うほどの腕前で、専門雑誌に投稿して入選を果たした記録も残っています。また、狩猟では山野を駆け巡り、投網での川釣り、油絵、刺繍、さらには当時日本に輸入されたばかりの自転車を乗り回すなど、極めて活動的な毎日を過ごしていました。
地元・静岡の人々からは親しみを込めて「ケイキ様」と呼ばれ、過度な政治的ストレスから解放されたこの自由な日々こそが、彼の心身の健康と長寿を支えた最大の要因でした。