1990年代後半以降、大原を過酷な運命が襲う。手足の麻痺や激痛を伴う難病「ギラン・バレー症候群」の再発。さらに、最愛の母の死や自身の整形手術トラブルの報道などが重なり、彼女は次第にメディアから姿を消し、世間との接触を断つようになっていった。
2009年8月、東京都世田谷区の自宅で、大原麗子は冷たくなっているところを発見された。死後数日が経過した孤独死。昭和を代表する大女優のあまりに寂しい最期として、日本中に衝撃が走った。だが、彼女の晩年を単なる「悲劇」や「哀れな末路」と片付けるのは早計に過ぎる。
彼女は最期まで、他者に媚びることなく、自らの美学とプライドを守り抜いた。かつて愛した渡瀬恒彦からの気遣いを受けながらも、誰にも頼らず一人で生きることを選んだその姿は、痛ましいまでに誇り高い。孤独死という結末は、彼女が自らの生き方を徹底して貫き通した証左でもあった。