幕末の危機感から出発した明治維新と富国強兵の国策は、欧米列強による植民地支配の波が押し寄せるアジアにおいて、主権を死守するための現実的な防衛策でした。殖産興業によって産業基盤を急速に固め、徴兵令を軸とする近代軍制を確立した帝国は、1889年に大日本帝国憲法を発布。アジアで初となる近代立憲君主制を打ち立て、不平等条約の改正を成し遂げます。
転機となったのは、1894年の日清戦争と1904年の日露戦争です。大国ロシアを辛うじて退けたことで国際的威信は急上昇し、第一次世界大戦を経て国際連盟の常任理事国に名を連ねるなど、五大国の一角を占めるまでに至りました。しかし、この急速な成功体験こそが、国家の針路を誤らせる最初の罠となりました。軍事力による権益拡大の成功体験が、外交や経済連携による協調路線を次第に圧倒していったのです。
破局へ至る制度的な火種は、憲法第11条に規定された「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」という統帥権のあり方にありました。軍の指揮命令権が内閣の管轄から切り離されていたため、軍部は「統帥権干犯」を盾に政治介入を強め、政府の統御を完全に離脱。1930年代に入ると満州事変、日中戦争へと泥沼化し、最終的に英米との太平洋戦争へと突入していきました。大日本帝国が崩壊した根本的な理由は、外的な軍事力の差だけでなく、拡大する戦線を統制できる政治的リーダーシップを自ら解体してしまった国家構造の自壊にありました。