事件発覚後、病院側は信頼回復を目指して「横浜はじめ病院」へと名称を変更し、再建の道を模索した。だが、失われた社会的信用と地域住民の不信感を払拭することは叶わず、最終的に病院は閉院の決断を下すに至った。
突然家族を奪われた久木歩さんら犠牲者の遺族にとって、施設の看板架け替えや閉鎖は何の解決にもならなかった。法廷で深々と頭を下げる被告の姿を前にしても、なぜ防ぐことができなかったのかという病院側の管理責任に対する疑念は消えない。命を預かる最後の砦であるはずの場所で命を奪われた無念は、遺族の手記や法廷証言の端々から今も痛烈に伝わってくる。