1度目の離婚から約1年後の2000年7月、山本美憂は総合格闘家のエンセン井上と再婚しました。
当時「大和魂」を掲げてPRIDEや修斗で大活躍していたエンセン井上は、美憂の弟である故・山本"KID"徳郁の師匠格でもありました。山本家全体とエンセンの結びつきは非常に深く、美憂にとっても格闘技の技術や精神面で多大な影響を与えた存在でした。美憂はこの時期、一時引退していたレスリングへの復帰を決断し、2004年のアテネ五輪出場を目指して過酷なトレーニングに励みます。
しかし、互いに強烈な個性とプロ意識を持つ格闘家同士の生活は、次第に摩擦を生むことになります。競技に対するスタンスの違いやすれ違いが生じ、アテネ五輪の代表選考に敗れた直後の2004年8月に離婚を発表しました。
離婚原因について、美憂は後に「お互いに格闘家として我が強く、ぶつかり合うことが多かった」と語っており、憎しみ合っての別れではなく、お互いの人生を尊重するための選択であったことが明かされています。