王妃の髪として詩情豊かに称えられたものの、天文学の公的な記録において独立した地位を獲得するまでには、実に1,800年以上もの歳月を要しました。古代ギリシャの大天文学者クラウディオス・プトレマイオス(トレミー)が紀元2世紀に編纂した名著『アルマゲスト』において、この星域は独立した星座として認定されていませんでした。
当時、この淡い星々の集まりは、隣接する「しし座の尾の先にある毛房(ふさ)」、あるいは独立した星座に属さない「無形星(インフォルマタ)」として扱われていたのです。古代の星図を検証すると、しし座の勇壮な尾の先端に、ブラシのように広がった星の刷毛が描かれている例が散見されます。
この曖昧な領域を名実ともにひとつの星座として固定化させたのは、ルネサンス期以降の天文学者たちでした。1536年、ドイツの地図制作者カスパー・ヴォペルが天球儀に「ベレニケの髪(Crinis Berenices)」として描き込み、1551年には地図学の巨匠ジェラード・メルカトルがこれを追認しました。そして決定打となったのが、1602年に刊行された近代観測天文学の祖ティコ・ブラーエの精密な星表です。ブラーエが星表の中で明確に一星区として独立させたことで、天文学界において「かみのけ座」の存在は不動のものとなりました。
最終的に1922年、国際天文学連合(IAU)が全天を88星座に正式区分した際にも、歴史的な正統性と観測上の固有性が認められ、ラテン語名「Coma Berenices」として公認されました。神殿から消えた王妃の髪は、詩の比喩から学術的な天文学の座標へと、長い歴史の旅を経て昇華したのです。