『椿説弓張月』を語る上で欠かせないのが、江戸文化が生んだ奇跡のコラボレーション、曲亭馬琴と葛飾北斎の関係性です。
馬琴は、伏線の回収や因果応報の倫理観、漢文調の格調高い文体をミリ単位で計算し尽くす「プロットの鬼」でした。一方、挿絵を担当した葛飾北斎は、画面狭しと暴れ回る為朝の筋肉美、砕け散る白波の飛沫、襲い来る大鰐鮫の質感、妖術使いの怪異描写を、躍動感あふれる構図で描き出しました。
二人は互いの才能を認め合いながらも、妥協を許さない性格ゆえに激しい衝突を繰り返したと伝えられています。馬琴が「文章の意図通りに描かれていない」と激怒すれば、北斎は「絵師の領分に口を出すな」と譲らない。しかし、この凄まじい火花が散る緊張感こそが、全29冊の紙面すべてに張り詰めたエネルギーをもたらしました。現代のコミックやグラフィックノベルの原点が、すでにこの1800年代初頭の『椿説弓張月』において完成していたと言っても過言ではありません。