公式インタビューや当時の音楽メディアの証言を振り返ると、椎名林檎自身が当初デビュー曲として熱望していたのは、のちに3枚目のシングルとなる『ここでキスして。』や名曲『ギブス』でした。高校生時代に書き溜めていた膨大なストックの中でも、内省的でエッジの効いたオルタナティブ・ロックを自らの名刺代わりに掲げたいという強い意志があったためです。
対して、所属レーベルである東芝EMI(当時)の制作陣が強く推したのが、極めてキャッチーで普遍的なメロディラインを持つ『幸福論』でした。「あまりに素直でポップすぎるのではないか」「自分の本来のダークな質感が伝わらないのではないか」という本人の戸惑いをよそに、ディレクター陣は彼女の卓越したポップセンスと、言葉の端々に宿る文学性を世に問う最初のステップとして、この楽曲のリリースを決定づけます。
この対立を建設的な創造へと導いたのが、亀田誠治による編曲の手腕でした。椎名林檎が持ち込んだデモテープの弾き語りに対し、亀田はビートルズを彷彿とさせる煌びやかなギターポップの意匠を施し、疾走感あふれるベースラインを構築。彼女のボーカルが持つハスキーな色気と無垢な叫びを、上質なポップスへと昇華させたのです。表現者としての初期衝動と商業音楽としての完成度が奇跡的なバランスで結実した瞬間でした。