初代引田天功(本名:引田 功)は、1934年7月3日に神奈川県横浜市で誕生しました。幼少期から手品に強い関心を抱き、昭和を代表する奇術界の重鎮・松旭斎天洋(しょうきょくさい てんよう)に師事。正統派の手妻やステージマジックを基礎から徹底的に叩き込まれました。
1968年に「初代引田天功」を襲名して以降、従来の「指先の器用さを見せる手品」の枠組み組みを根底から覆す、ダイナミックかつ危険に満ちたスペクタクルショーへと舵を切ります。当時の日本の演芸界ではタブー視されていた危険術を取り入れ、テレビという巨大メディアの特性を最大限に活かした演出を構築していきました。
単なるパフォーマーにとどまらず、自らの体を張って観客の心理を極限まで揺さぶる演出力は、日本のテレビショービジネス史におけるひとつの転換点となりました。