初代が歩んだ道は、栄光と孤立が背中合わせの険しい旅路だった。名門・藤間流の総帥の妻として頂点を極めながらも、彼女は敷かれたレールを捨て去る。選んだのは、ひとりの自立した表現者として生きる道だった。その決断の果てに誕生したのが、自らの名を冠した「紫派藤間流」である。当時の邦舞界において、女性が新たな流派を打ち立てる行為がいかに異端視されたかは想像に難くない。
その激動の人生において、決定的な転機となったのが三代目市川猿之助(後の市川猿翁)との運命的な出逢いだった。二人は周囲の凄まじい猛反発をものともせず、芸術と人生の双方で唯一無二のパートナーシップを結ぶ。古典の解体と再構築。二人が生み出した熱量は歌舞伎界の勢力図を塗り替え、日本舞踊の概念そのものを拡張していった。世間のバッシングを浴びながらも、板の上に立てば誰もがその芸に平伏した。彼女にとって舞台こそが、自らの正当性を証明する唯一の法廷だったのだ。