犬神佐清といえば、湖面から足だけを突き出した凄惨な遺体や、表情を一切変えない無機質なマスクの姿が代名詞だ。一方の『八つ墓村』では、頭に2本の懐中電灯を鉢巻きで括り付け、桜吹雪のなか猟銃を撃ちまくる多治見要蔵の姿が強烈な異彩を放つ。双方とも一歩間違えればシュールに傾きかねないデザインでありながら、作品が持つ圧倒的な緊張感によって観客の心に恐怖として刻み込まれた。
この二大アイコンは、昭和の子供たちにとって最大のトラウマであり、同時に最高のエンターテインメントでもあった。恐怖体験というものは時間が経つにつれて細部が簡略化され、最も刺激的なパーツだけが残る傾向がある。「白マスク(スケキヨ)」と「村の惨劇(八つ墓村)」が合成され、ひとつの「究極の横溝体験」として人々の無意識に定着したことは、ある意味で両作のキャラクター描写が完璧だった証左と言えるだろう。