オランダ基本法(憲法)第32条において、国王の即位式を執り行う公式な首都は「アムステルダム」と明確に定められています。それにもかかわらず、なぜ政治の実務はすべてデン・ハーグで行われているのでしょうか。その理由は、中世から続く歴史的権力闘争と都市のアイデンティティに根ざしています。
起源は1230年に遡ります。ホラント伯フロリス4世が狩猟用の館を建てた土地が現在の「ビネンホフ(オランダ国会議事堂)」の礎となり、やがて行政の常設機関として機能し始めました。当時のアムステルダムは貿易と金融で爆発的な富を誇る商人の街であり、商業エリートたちは政治権力による市場への介入を激しく拒絶しました。一方のハーグは中世の都市権(Stadsrechten)を持たぬまま「貴族と行政官が集う村」として発展したため、商人勢力との利害衝突を避ける中立的な政治執務地として選ばれ続けたのです。
19世紀初頭、ナポレオン支配を経てオランダ王国が成立した際、経済的象徴であるアムステルダムが「公式の首都」に指定されましたが、実務を担う行政機構や最高裁判所をわざわざ移転させる合理的理由はなく、そのままハーグに残されました。この徹底した機能分担こそが、現在のオランダの合理的国家運営の源流となっています。
また、国際ニュースで頻繁に耳にするハーグ条約(国際私法や武力紛争法、国際児童奪取に関する条約群)が生まれた背景も、この地が早くから国際仲裁と外交交渉の中立地として機能してきた歴史的文脈に直結しています。