第八代将軍・足利義政は、政治的プレッシャーから逃避するように文化事業へと没頭していった。飢饉で民が苦しむ最中にも庭園づくりや酒宴に現を抜かす夫に対し、幕府の財政破綻を防ぐため奔走したのが富子だった。
義政が理想主義的な美の世界に逃げ込む一方、富子は泥臭い現実政治の矢面に立ち続けた。夫が政務を放棄したことで生じた権力の空白を埋めたのは、他ならぬ彼女の手腕である。二人の間に生じた溝は深く、晩年には事実上の別居状態に陥ったが、それは単なる性格の不一致ではなく、為政者としての覚悟の違いが生んだ必然の亀裂だったといえる。