ここ数年、第一線で活躍する表現者や知識人が相次いで病名を公表しました。過酷な治療プロセスと向き合いながら、彼らはどのように病状をコントロールし、表現者としての立ち位置を取り戻したのでしょうか。公表された主要な血液のがんの有名人の足跡をたどります。
俳優の佐野史郎氏は、2026年に腎機能障害などを契機に精密検査を受け、66歳で多発性骨髄腫を発症したことを公表しました。2度にわたる入院と過酷な抗がん剤治療、そして自身の細胞を用いる自家造血幹細胞移植を完遂。復帰後の特別インタビューでは「落ち込みや不安は一切なかった。『佐野、大変だったな…いや、楽しかったですよ』多分それが本音」と語り、自身のライフワークである『小泉八雲朗読の会』をはじめとする映画・ドラマの現場に見事な復活を遂げました。2026年現在も定期的な外来管理を続けながら、深みのある演技を届けています。
夫婦漫才コンビ「宮川大助・花子」の宮川花子氏は、2019年末の記者会見で多発性骨髄腫を公表しました。一時は下半身不随となり車椅子生活を余儀なくされ、医師からも厳しい予後を示唆される極限状態にありました。しかし、夫・大助氏の献身的な支えとリハビリテーション、分子標的薬を中心とした化学療法により奇跡的な回復を見せました。舞台上に設えた特製チェアでの漫才復帰は、エンターテインメント界における屈指の感動作として語り継がれています。
経済評論家の岸博幸氏は、2026年1月に多発性骨髄腫が判明。治療開始時に「適切な治療を行えば10〜15年は生きられる」と告げられた経験を契機に、自著『余命10年。多発性骨髄腫になって、やめたこと・始めたこと。』を上梓しました。抗がん剤治療と自家移植を経て、テレビコメンテーターや大学教授の職務へ迅速に復帰。病を隠すのではなく客観的なデータとして発信し続ける姿勢は、同病に悩む多くのビジネスパーソンにとっての指針となっています。
一方で、この病によって無念の死を遂げた先人も少なくありません。漫画家の高寺彰彦氏(2019年逝去、享年60)や、アメリカの伝説的ペダルスティール奏者バディー・ケージ氏(2026年逝去、享年75)など、表現の最前線で命を燃やし尽くした著名人たちがいます。医療技術が現在ほど発達していなかった時代には進行を食い止める手立てが乏しく、多くの命が奪われてきた歴史を忘れることはできません。