竹中半兵衛(重治)の死因について、歴史研究や当時の記録において最も有力視されているのが労咳(ろうがい:現在の肺結核)です。半兵衛は元々体が頑健ではなく、痩身で色白、女性と見紛うような風貌であったと軍記物に記されています。天正7年(1579年)6月13日、中国攻めの最中にその生涯を閉じました。
戦国時代の医学水準において、結核菌による感染症は原因不明の消耗性疾患であり、一度発症すれば有効な治療法は存在しませんでした。長引く微熱、激しい咳き込み、血痰、そして急激な体重減少(結核性悪液質)によって体力を削り取られていく経過は、当時の記録にある「胸を患い衰弱した」という描写と完全に一致します。
一方で、近年の病理学的考察や歴史検証では、単なる肺結核だけでなく重度の肺炎や胸膜炎、あるいは悪性腫瘍(肺がんや消化器系がん)の転移を疑う説も提起されています。陣中という過酷な衛生環境、栄養の偏り、極度の戦略的ストレスが免疫系を急速に破壊し、病勢を劇的に悪化させたことは間違いありません。いずれの説をとるにせよ、半兵衛の命を奪った真相は、過酷な軍務の重圧下で進行した重篤な呼吸器・消耗性疾患であったと断定できます。