時計の針を半世紀以上巻き戻すと、対立の決定的な起点が見えてくる。1952年、当時の韓国大統領・李承晩が突如として宣言した「海洋主権宣言」、いわゆる李承晩ラインだ。公海上に一方的に引かれたこの境界線の内側に竹島が取り込まれ、以降、韓国による警備隊の常駐と施設建設が進められていった。
これに対し、日本側が歴史的根拠の支柱とするのが1905年の閣議決定と島根県への編入告示である。日本政府は、無主地先占の法理に基づき正当に領土へ編入したと主張する。だが韓国側は、これを「日本の侵略プロセスの端緒」として捉え、1900年の大韓帝国勅令第41号などを盾に古くからの固有領土であったと反論する。出発点となる歴史の解釈そのものが、最初から真っ向から衝突しているのだ。