志村けんの若い頃が超絶イケメン!菅田将暉酷似の真相とドリフ秘話の見逃せないポイントをわかりやすく整理しました。

志村けん(本名:志村康徳=やすのり)さんは、1950年2月20日、東京都北多摩郡東村山町(現在の東村山市)で3人兄弟の末っ子として生を受けました。のちに自身の代名詞ともなる「東村山」の実家は、決して芸道に寛容な環境ではありませんでした。

父親の憲司さんは厳格な小学校の教頭であり、家庭内は常に張り詰めた空気に包まれていました。食卓では私語が一切禁じられ、父親が帰宅すると兄弟全員が正座で出迎えなければならないほど封建的な教育方針が敷かれていたのです。自著『変なおじさん』の中で、志村さんは「家の中はいつも重苦しく、父の機嫌を損ねないことばかり考えて息を潜めていた」と述懐しています。

そんな息の詰まる日常の中で、唯一の救いとなったのがテレビのお笑い番組でした。ある夜、普段は絶対に笑顔を見せない厳格な父親が、画面に映る落語やコメディを見て腹を抱えて大笑いしている姿を目撃します。その瞬間、幼心に「これほど人間を無防備にさせ、凍りついた空気を一変させる『笑い』とは、どれほど凄い力なのだろう」という鮮烈な衝撃が走りました。この原体験こそが、志村さんを喜劇の世界へと駆り立てる決定的な引き金となったのです。

都立久留米高校に進学した志村さんは、卒業後の進路として大学進学を望む父の意向に反し、芸能界入りを固く決意。1968年2月、高校卒業を目前に控えたわずか18歳の冬、当時人気絶頂へと駆け上がっていたザ・ドリフターズのリーダー・いかりや長介さんの自宅へと単身で向かいました。