知床の現場を取材すると、自然を愛でる言葉の軽薄さに気付かされる。環境ジャーナリズムが果たすべき真の役割は、耳触りの良いエコ賛美を垂れ流すことではない。ゴミのポイ捨てひとつがヒグマを引き寄せ、結果としてそのクマを射殺に追い込むという「人間の無責任がもたらす悲劇」を克明に記録し、警告し続けることだ。
かつて作家やナチュラリストたちが警告してきた「人間側の傲慢」は、情報化と手軽なアクセスの普及によって、より先鋭化している。望遠レンズを持たないスマートフォン片手に数メートルの距離まで近づく観光客の姿は、いつ破裂してもおかしくない火薬庫に火を近づける行為に等しい。