指名手配・桐島聡の半世紀逃亡劇|偽名「内田洋」潜伏と最期の真相に関する専門家の意見を分かりやすく解説いたします。

半世紀にわたる逃亡生活の終わりは、突然訪れました。2026年1月上旬、桐島は体調を著しく崩し、神奈川県鎌倉市内の病院に「内田洋」の名義で救急搬送されました。診断結果は末期胃がん。病状はすでに全身に転移しており、自力歩行もままならない危険な状態でした。

自らの余命が幾許もないことを悟った桐島は、1月25日、病院関係者に対して静かにこう告げました。「私は東アジア反日武装戦線の桐島聡です。最期くらいは本名で迎えたい」。病院からの通報を受けた警視庁公安部が急行し、病室で事情聴取を実施。本人のみが知り得る当時の家族構成や組織の実態を詳細に語ったことから、捜査本部は本人である公算が極めて高いと判断しました。

しかし、身元を正式に確定させる尋問や捜査が進む間もなく、自供からわずか4日後の2026年1月29日午前7時33分、桐島は70歳で死亡しました。その後、警察当局が複数の親族から採取したDNA型と桐島の遺体から採取した検体を精密に照合した結果、「親族関係に矛盾なし」とするDNA鑑定結果が得られ、警視庁は遺体が桐島聡本人であると断定。被疑者死亡のまま書類送検され、半世紀に及んだ追跡劇は法的に決着を迎えました。