彼が作詞家としての才能を開花させたきっかけは、大スター・石原裕次郎との運命的な出会いにあった。逗子のマリーナ近くでシャンソン歌手の訳詩を手掛けていた若き日の才能を裕次郎が見出し、「君、歌を作詞してみないか」と声をかけたエピソードは、ファンの間で語り継がれる伝説だ。
当時、日本のポップスや昭和歌謡の表現はどこか型にはまった叙情性が主流だった。そこへ彼が持ち込んだのは、フランス文学や西洋音楽のインテリジェンスと、人間の生々しいエロスや孤独を融合させた全く新しい言語感覚である。裕次郎が歌う甘美で哀愁を帯びた楽曲は一世を風靡し、日本の音楽業界に大きな地殻変動を引き起こした。
ひとつのフレーズに情念を凝縮させるその手腕は、単なる歌の言葉にとどまらない。人間の業や欲望を肯定するような力強さが、戦後復興から高度経済成長へと向かう人々の熱量と完璧にシンクロしていたのだ。