高校を卒業した18歳の斎藤工が選んだのは、大学進学でも芸能界での安住でもなく、単身バックパッカーとしての旅立ちでした。手元にあったわずかな貯金を握りしめ、バックパックひとつで香港、タイ、ベトナム、カンボジア、インドといったアジア諸国を巡り、さらにはヨーロッパへと足を延ばしました。
旅の大きな目的のひとつが、世界最高峰のファッションの祭典であるパリ・コレクション(パリコレ)やミラノ・コレクションへの挑戦でした。大手事務所の手厚いサポートを受けて渡航する通常のエリートコースとは異なり、彼が取った行動は無謀とも言える完全な単独行動でした。
自らの写真を集めた「ブック(作品集・ポートフォリオ)」を脇に抱え、現地パリのモデルエージェンシーやメゾンの門を直接叩いて回る日々。言葉の壁、人種や体格の圧倒的な壁に阻まれ、書類すら見てもらえずに門前払いを食らう屈辱を何度も味わいました。滞在費を極限まで削るため、1泊数十フランの安宿やドミトリーを泊まり歩き、パン1個で飢えをしのぎながら街を彷徨う過酷なサバイバル生活を経験しています。
当時のパリコレ挑戦そのものは、世界の分厚い壁に跳ね返される形で挫折を味わうことになります。しかし、このときに味わった「自力で世界に立ち向かい、打ちのめされた経験」が、彼の表現者としての骨格を強固に作り上げました。そしてこの挑戦は、実に約20年の時を経た2018年、「ヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto)2018-19年秋冬メンズコレクション」のパリのランウェイに、俳優・映画監督として正式招聘されモデル出演を果たすという劇的な形で結実します。若き日の無謀な挑戦は、決して無駄な遠回りではなかったのです。