転機は1990年、フジテレビ主催のオーディション会場で訪れた。審査員を務めていた音楽プロデューサーの長戸大幸は、彼女が放つ唯一無二の声質と、媚びのない佇まいに強いインスピレーションを受ける。こうして株式会社ビーイングへの所属が決まり、プロジェクト「ZARD」が胎動を始めた。
稀代のメロディメーカーである織田哲郎による楽曲提供、そして自ら紡ぎ出す飾らない歌詞。1991年のデビュー曲『Good-bye My Loneliness』から、自社レーベルのB-Gram RECORDSへと移籍してメガヒットを連発する黄金期へと突き進む。ビーイングが敷いたメディアコントロール戦略は、彼女のモデル時代の履歴を積極的に喧伝しない方針を取ったが、それは過去の隠蔽というより、音楽そのものの純度を届けるための純化プロセスだった。
ジーンズに白シャツ、控えめなメイク。過度な装飾を削ぎ落としたスタイルは、リスナーの意識を彼女の言葉とメロディだけに集中させた。日本の音楽業界において、これほど鮮やかにアーティストイメージを確立させた例は稀である。