ファンを魅了した細身のエースを突如襲ったのが、投手にとって最も過酷な「左肩の故障」でした。1996年に14勝を挙げたものの、シーズン後半から左肩に違和感を抱え始めます。翌1997年以降、左肩関節唇損傷や腱板炎により、マウンドでの登板数は激減していきました。
引退後に明かされた手記や当時のインタビューによると、腕を上げることすら激痛が走る状態でありながら、エースとしての誇りとファンの期待に応えるため、神経ブロック注射や過酷なリハビリを繰り返していたと語られています。しかし、一度失われた肩のしなりと球威が完全に蘇ることはありませんでした。
1999年にチームがリーグ優勝を果たした際も、かつてのエースは輪の中心にいられず、復活を期して投球フォームの改造やサイドスローへの挑戦などあらゆる手を尽くしました。そして2001年シーズン終了後、「ストレートに納得のいくスピードとキレが戻らない以上、打者を抑えることはできない」と、31歳の若さで潔く現役引退を表明しました。全盛期の年間200イニング超え、シーズン14完投という壮絶な登板過多が、その後の選手生命を縮めたことは疑いようのない事実です。