平泉を脱出した義経主従がたどったとされる道筋は「北行伝説ルート」と呼ばれ、東北地方から北海道にかけて無数の足跡や伝承が残されています。
伝承によると、義経一行は岩手県から三陸海岸を北上して青森県の三厩(みんまや)に到達。津軽海峡を渡って蝦夷地(現在の北海道)へ上陸したとされます。北海道日高地方の平取町には現在も「義経神社」が鎮座し、アイヌ民族に農耕や機織りを教えた英雄神「オキクルミ」と義経が同一視される現象まで起きました。しかし、これは近世の松前藩によるアイヌ統治政策の一環として、和人の神話を後から重ね合わせたものであることが民俗学的に判明しています。
この蝦夷渡航伝説をさらに海の向こうの大陸へと飛躍させたのが、江戸時代後期に来日したオランダ商館医師フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトでした。
シーボルトは著書『日本(NIPPON)』の中で、日本の歴史書や伝承を調査した結果として「義経=チンギス・ハン説」に言及しました。彼が挙げた根拠は主に以下の点です。
- 紋章の類似性:源氏の代表的な家紋「笹竜胆(ささりんどう)」や清和源氏に縁のある「九曜紋」が、モンゴルの旗印や紋章と酷似している点。
- 白旗の共通点:源氏が象徴とした「白旗」と、チンギス・ハンが軍旗として用いた「九脚の白旗(トク)」の符合。
- 呼称の音韻一致:「成吉思汗(ジンギスカン)」の漢音読みが「ゲン・ギス・カン」となり、「源吉思(ゲンキッシ)=源義経」に通じるという言語学的類推。
その後、大正13年(1924年)に牧師の小谷部全一郎が著した『成吉思汗ハ源義経也』が発行されると、当時の日本で数十万部を超える空前のメガヒットを記録。国民的な大ブームへと発展しました。