なぜ彼女は、これほどまでに過激な体当たり演技に身を投じることができたのか。その問いに対する答えは、彼女自身の表現に対する異常なまでの誠実さにある。東映などの老舗映画会社が培ってきたバイオレンスや濃厚な人間ドラマの系譜を受け継ぎつつも、彼女は常に「自分という存在をすべて差し出す」覚悟で現場に立っていた。
女優が服を脱ぐ行為には、常に消費の視線がつきまとう。だが遠野なぎこは、その視線すらも逆手にとって役に命を吹き込んだ。彼女にとって肌を晒すことは目的ではなく、人間の最も脆く醜い内面を暴き出すための必然的な手段に過ぎなかったのだ。妥協のないリアリズムを追求する姿勢は、多くの映画監督たちを魅了し続けた。